PTAに加入する事は「悪」なのか、悪意のある「ド正論(笑)」

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本日はコラム的な話である。

PTAの自動加入や強制を「ド正論」で回避する方法

4/7(水) 12:16

子どもが進学するのはうれしいけれど、入学式のあとに行われるPTAクラス役員(委員)決めを思うと気が重くなる、という人もこの時期は多いでしょう。

「yahooニュース」より

まー、読む価値の無い記事であったが、そもそもこの「回避する」方法は、PTAを最初から「悪」と決めつけている節がある。この時点で、現状把握能力皆無である。

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PTAはどんな組織か?

子供の教育は親の義務

そもそも、共働きの両親が「学校に子供を預けている」という感覚がちょっとおかしい。子供の教育は保護者の義務である。

いくら国が義務教育と定めているとはいえ、「仕方ないから学校に預けてやる」というのはどうかと思う。

学校教育で時々読ませる読み物として、エジソンの伝記がある。

トーマス・アルバ・エジソンなる人物は、「発明王」という異名と、「メロンパークの魔術師」という異名が有名だが、ちょっと異色の異名として「訴訟王」というのがある。学校に通わず勉強をして、発明王と呼ばれるようになったエラい人、みたいな認識が強いけれど、僕の認識はちょっと違う。

多分だが、エジソンは多動性障害(ADHD)であったと推測される。

エジソン、アインシュタインも?「発達障害」との向き合い方は…
意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「発達障害」です。

これは僕の推測ではなく、専門家が「そうではないか」と考えている節があるのだ。実際に、エジソンのエピソードを読むと、学校に適合できなかったので母親が勉強を教えたという下りが出てくる。

現代では割とこういう人も肯定されているが、当時はエジソンの母親は相当の覚悟が必要であっただろうと想像する。

ともあれ、エジソンは障害を持って生まれ、それにあわせる様な教育を母親がしたということである。つまり、エジソンの成功は母親の努力に寄るところが大きい。

翻って現代の保護者達は、自分達で子供達に教育を施そうという発想になる人は小数であろう。でも、子供の教育は親の義務なのだ。

学校は教育機関

さて、国が整備して小学校や中学校が存在し、多くの人達はそこに自分の子供を通わせている。そうすると、「自動的に勉強が教えて貰える」のだ。しかし、本来は親が教育すべきところ、仕事との都合もあって教育機関にお願いするシステムである。

だからこそ、その中身は親が責任を持つ必要がある。

ところで、エジソンの話に戻るが、「訴訟王」というのは一体どう言うことだろうか?これは、エジソンの発明の内容にある。「Genius is one percent inspiration, 99 percent perspiration.」これは、エジソンの言葉として「天才は1%のひらめきと99%の努力」などと訳される。

ただ、99%の努力の中には「他人のアイデアを利用する」という事が結構あったようで。で、その発明の権利を巡って裁判をやったので、「訴訟王」と呼ばれるようになったようだ。今で言う、パテントトロールというヤツだね。

つまり、エジソンは常識外れの努力家であったが、一般人の感覚とはかけ離れた行動が多かった。人がやらないことをやって成功し、人がやらないことをやったが為に失敗した人であった。失敗は余り語られないが、事業に失敗して巨額の借金を抱えるなどやらかしている。それがいい、悪いという話なんだよね。

学校教育の場合は、こういった「人とは違う事」をやる子供達を教えるようなシステムになってはいない。

学校教育は学校だけでは成り立たない

ところが、学校の先生方だけで子供達の教育は成り立たないのである。

子供の教育は多岐に渡るが、学校で教えることのできる内容は画一的なもので、柔軟な対応は難しい。だからこそ、保護者がその辺りを埋めなければならないのである。本来は保護者こそ子供達を教育する責務を負っているのだから。

だから、子供に教育が合っていない。教育の進捗状況が宜しく無いと判断すれば、学校の先生に孫団して改善するなり、塾に行かせるなり、何か手を打つ必要がある。

ところで、教育というのは教科についての勉強だけではなく、日常生活的な常識や知識を教え込んだり、友達との関係を調整する術を知ったり、それも立派な教育である。そして、それはなかなか学校で学ぶ事は難しい。道徳の時間に画一的な知識を与えたりはするが、それ以上のことは体験を通して学ぶより他に無い。

それと、学校への通学だが……。

通学路での事件、事故は保護者の責任で防ぐ必要がある。しかし現実問題は難しいので、学校が指導して集団登校、集団下校をしている。纏まって歩いた方が安全性が高くなるのだ、一般的には。イワシの群れと同じ理屈だよね。もちろん、集団で登下校しているところに車が突っ込む痛ましい事故が偶に起きたりはするが、それは学校も保護者も避けてあげることは難しい。

ところが、最近の親は「学校の先生が子供達を送り迎えしなさいよ」とぶっ込むそうだから、恐ろしい。自分の頃の登下校の時はそうだったのだろうか?そうだとしたら余程特殊な環境で育ったのだろうね。

地域ボランティアとPTA

で、そうしたところのフォローがPTAの役割ということになる。

先生だけに任せておくと言うことは難しいし、学校を知らないと子供の教育も覚束ない。で、保護者と先生が連絡できるような組織を作っておいて、連絡を緊密にできる様にするというのが、PTAの本来的な役割だ。

昨今は自動加入をやめ、入会届等で加入意思を確認するPTAや、「1クラスor学年から委員を必ず何人出す」という枠をやめ、「やりたい人がやる」形にするPTAも増えつつありますが、一方では残念ながら、従来型の「自動入会」&「必ず何人の枠」を続けるPTAも少なくありません。

もし従来型のPTAで「役員はやりたくない・できない」というときは、どうしたらいいでしょう。クジやじゃんけんで役員にあたってから断っても、聞き入れてはもらえません。そこで思い切って、先に「ド正論」でぶつかるのはどうでしょうか。なるべく単純な方法を考えたので、必要&可能な方は、トライしてもらえたらと思います。

「yahooニュース」より

とまあ、ここまでの説明を理解して頂いた上で、この内容を読んでみると、「何言っているの?この人」と言わざるを得ない。

「役員はやりたくない」「できない」って、子供達の教育のサポートをするのは保護者の義務で、PTA役員はそれのサポーターの調整役である。ここで言うサポーターというのは地域のボランティアなどのことを含めた話である。

本来、自分でやらなければならないところを、やって貰っているのだから、そこに出来る形で助力するのは当たり前の話。

それを、最初から断る前提というのは理解できない。じゃあ、日本のシステムで学校教育させるのを止めたら如何か。

ド正論とやら

基本的にPTAは任意加入団体である。

知られていない事ではあるが、PTA組織に加わらないと言う選択肢はある。そしてPTAに加わらないことで、直ちに子供達の教育を放棄したという話にはならない。だから、加入を断っても良いのは事実だ。

PTAはボランティアだからね。

新入生の保護者で、且つPTAが自動入会(加入意思確認がない)の場合は、シンプルです。入学式後にクラス役員決めが始まったらすぐ校長先生のもとに行って「私はPTA会員ですか?」と聞いてみましょう。聞くのはもちろん母親でも父親でもかまいません。加入意思を確認していなければ、大概の校長先生は「会員ではない」と答えるはずです。返事を聞いたら役員決めには参加せず、帰宅すればよいでしょう。

「yahooニュース」より

ただ、PTA活動の内容を知り、子供の教育に何が必要で何が必要でないかを判断擦る前に、「面倒だからやらない」というのは、話にならない。

「仕事の都合でできない」という方はいるだろう。ただ、両親が共働きで両親とも仕事の都合で役員が出来ないという事は、まずあり得ない。皆さん仕事を持って、時間のない中でPTAの役割を担っているのである。

「俺は知らない」「私は知らない」で切って捨てて良い話ではないのである。

PTA活動実態を知り、その上で子供の教育に必要がない、子供にはそんな活動には参加させられないという事であれば、それは勝手にやって頂ければ宜しい。だけれど、そうであれば子供の教育に資するように積極的にPTAに関与して頂く方がよりスバラシイ結果に繋がる。

もはやこの時点で、この方の主張は正論から外れている。

「会員ではない」と確認したら、非会員の状態になります。もし「役員はやらないけれど、PTAには入りたい」というときは、後日改めてその旨を伝えればよいでしょう。PTA会長や役員さんに伝えてもいいですが、保護者同士でのトラブルを避けるため、校長先生に伝えてもいいと思います。

「yahooニュース」より

こんな事を、恥ずかしげも無く人に勧めるのだから、人間としてどうかしている。「役員はやらないけれど、PTAには入りたい」って、バカじゃないの?

役員が出来ないのは申し訳無いという気にならないあたり、もはや地域のコミュニティーとの関係を持つ気が無いと言わざるを得ない。

PTA解体という選択をする学校も

ただ、現実問題としては、PTA活動に理解を示さない保護者達がよってたかってPTAの存在そのものを解体してしまうといった事例もあるようだ。

まあ、やらないことは別に悪いことではない。

無しなら無しで回っていくのである。

実際に、PTAの活動が形骸化しているところも結構あって、「この活動は本当に必要なの?」と疑念を抱く事も結構あると思う。でも、こうした組織を解体してしまうと、再び必要だと判断したときに団体を立ち上げるのは非常に労力を要するのである。

個人的にPTAや子供会、その他の地域コミュニティーに関わった経験のある僕としては、PTAの必要性はアリだと考えている。子供会は?コチラは設立の前提から変容しているので悩ましい。PTAと子供会って目的は違うけれど、イベントなどは被ることが結構あるんだよね。

ただ、子供の立場で考えると、親と一緒では体験できないことを体験できるという意味では、子供会の方が嬉しいんだよね。

結局のところ、その組織が何処までしっかり自らの存在意義を考えて、自助努力で大きなイベントをやれるかどうか?というところが一番大切であると思う。

そういう意味でも、PTAや子供会にも積極的に関わって、内部から改革して欲しいと思っている。それこそが子供達の為になるのだから。そして、自らがそうした組織に加わることで、会社員でいるときには体験できない事を体験できる。コレは意外に大きい。自らのアンテナを広げる意味でも、是非とも活動的になって欲しい。

「やらない」という選択肢は簡単だし、PTAとしても先生としても、そうした保護者と関わり合いになりたくないと感じるだろう。だから、断っていただいても結構なのだが……、それでは誰も幸せにならないんだよね。

まあ、個人的な考えなので異論反論はあるだろう。ただ、ライターのド正論とやらに腹が立ったので書き綴った次第。

だって、平たく言えば「ヤリタクナイからやらない。だって、任意なんでしょ?」って、子供か!

コメント

  1. こんにちは。一昨年PTAのクラス委員をしました。皆さんが仕事してると基本メールベースでの情報交換で済ませ、先生との連絡も同様にメールベースにしました。伝統でやってきた無駄な行動を勝手に改変してしまうと学校もそれに合わせて変化していました。まぁボランティアなんで自分ができる範囲でやって、出来ないことは工夫するってのがいいような気がします。ただ有給休暇はほとんどPTA活動で消費しました。(https://bit.ly/3s6dk7a)

    • コメントありがとうございます。
      学校の数だけPTAの在り方は違うと思いますし、活動内容も方針も異なるのでしょう。
      ですから、中身を知らずに十把一絡げで「入りたくない」「必要の無い組織だ」というのは、勿体ないと思う次第です。
      末席ながらPTAという組織に関わる経験を持つ身としては、「学校との関わり」こそ必要であって、本旨より外れる枝葉末節な部分は時代に合わせて変えていくべきだと思います。
      ご指摘の様に、やはり有給休暇などを使って活動をせざるを得ない部分があり、「苦々しく思う」ような部分はありました。
      でも、だからこそ、プラスに考えて自分のためになるような関わりをして欲しいなと、個人的には思っております。

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